2012年4月8日日曜日

イスタンブールでトルコ人とシェイクスピアについて話しながら考えたこと。

5泊6日でトルコに行ってきた。トルコは本当に素晴らしい国で、毎日感動しっぱなし。イスタンブールのあの活気と、トルコ人の笑顔と、その人懐っこさと。それは英語を話せなくても感じることが出来ただろうし、日本語のツアーに参加してもそれなりに楽しかったんだろう。それでもきっと、英語が話せるようになった今の私と同じくらい感動することはなかったに違いない。

ロンドンに来て、生まれてはじめて日本語が話せない人と友達になって。英語が話せれば世界中の人と自分でコミュニケーションが取れる。その素晴らしさが忘れられなくて、私はまたロンドンに来て。ロンドンでは英語が話せることが当たり前だから、英語が通じずに悔しい思いをすることはたくさんあるけれど、英語が通じる喜びを最近はもうほとんど感じていなかった。だけどトルコに行って、母国語が英語ではない人たちと英語で話して、友達になって、何時間も喋り続けて、たくさん一緒に笑って。英語が話せなかったら、あんなに仲良くなることはなかっただろう。今まで英語が喋れるようになって良かったって思ったことは何十回もあるけれど、今回の旅ほど強く思ったことはない。

私が人生で出会ってきた中でもっとも良い人だと本気で思ったAliとFatihと話しながら、自分がいかにトルコ人に対して勝手な偏見を持っていたかがよくわかった。日本大使館がトルコで日本人女性が性犯罪に合う被害が多発しているという警告を出していたから、トルコ人男性は日本人女性にとって警戒すべき相手だと思っていたし、親切にしてくる人には気を付けなきゃいけないと思っていた。だけど会う人会う人みんな本当に親切で、嫌な感じは一つもしなかったし、困っているとすぐ助けてくれて、目が合うとにっこり笑ってくれる。だからトルコ人に対するイメージが変わったって、その話を二人に話したらショックを受けていて、もちろん悪い人だっているけどそれはどこの国でも同じなのに、どうしてトルコだけそんなに警戒されなきゃいけないんだろう、と嘆いていた。一緒に撮った写真を見せたとき、「日本人の友達はこれを見て、トルコで変な男に遊ばれてるって思うんでしょ」って言われたことが忘れられない。だってトルコに行ったことがない私だったら、その写真を見てきっとそう思っただろうから。

私が見ている世界は、私が見たいと思っている世界で、それ以外のことは何も見えていない。知らないんじゃない、目を瞑っているだけ。今まで全部、自分の頭の中で全てを完結させていて、そこに当てはまらないことは全部嘘だと思っていた。例え私がそれを自分の目で見たことがなかったとしても、ネットやニュースの情報をそのまま飲み込んで、勝手に自分で作り上げていく。何を見るにも自分のイメージでしか目の前の物事を見ていなかったのが私。本当だろうかって疑うこともなく、直接自分の目で確かめることなんてしたこともなかった。正しいのはいつも私の頭の中。

ちょっと前までの私にとって、日本以外は全て「外国」で、そこはスリがあって強盗があって詐欺があって、とにかく怖くて危険な場所だった。日本人以外は全て「外国人」で、私とは全く違う人間だった。英語が話せるようにならなかったら、私は本気でずっとそう思っていたと思う。

トルコに行くまで、これが人生で何の役に立つんだろうと考えていた私は、何か大切なものをどこかで置いてきていたのかもしれない。役に立つかどうかではないのだ。それはお金になるとか、そういった類いのことじゃないから。ただ私は知りたい。その知りたいという気持ちを、何の役にも立たないからという理由で切り捨てたくない。きっとまだまだ信じられない数の偏見を私は抱えているはずで、だからもっと色んなこと、自分の目で確かめたい。自分の頭の中で完結させていたものを壊して、閉じていた目を開いて、そこにあるものを自分の目で見つめたい。そういう知りたいという気持ちを、私はいつから失っていたんだろう。知ることがいかに難しいことか、ちょっと読んだだけ、ちょっと見ただけでは簡単にわからないということを、どうして私は忘れていたんだろう。

今の私は、去年までの私、英語がまだ話せなかった私が想像できなかった未来を生きている。知らなかった世界。ずっとそこにあったのに、近付こうともしなかった場所。もう英語が話せなかった自分の人生に戻ることはありえない。英語が話せることで得られるチャンスについては色んな人が語っているけれど、英語が出来ないことでいかに多くの機会を失うかはあまり語られない。そのことは英語が話せるようにならないとわからない。

イスタンブールへ行くなら、Sayeban Hotelをおすすめする。信じられないくらい親切なAliとFatihが、何杯でも紅茶をいれてくれて、何時間でも一緒に話してくれるから。だけど英語が話せないならあんまりおすすめできない。部屋が他と比べて綺麗だったり広いわけでもないし、特別なサービスがあるわけではないから。あの二人を何となく良い人だと思っても、彼らの素晴らしさはわからないと思う。

英語が話せないって、きっとそういうこと。

2 件のコメント:

  1. はじめまして

    いつもブログを拝見しています。
    トルコは私も行ってみたい国ですので、今回の記事を読んでより一層気持ちが強くなりました。

    言葉が分かる、それだけで「外国」が「得体のしれない異世界」から、ぐっと敷居は下がりますよね。共通言語があることで、世界と自分が繋がれるということは、感動ですし、それが当たり前な世の中になるといいな、と思います。

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  2. うぅん。拝読しました。確かに、知らない世界に対する偏見によって、自分の世界を狭めてしまう人は実際に多いよね。
    トルコ人はいい人、親日、という話も、たくさん聞く。いっぽうで、トルコ人によって、性犯罪に巻き込まれてしまう日本人がいることも確か。
    わたしは、一概に、どこかの国に住んでいるたくさんのだれかを、「何人」てまとめてしまうことに違和感を感じていて。
    でも、同じ国に住んでいる人であれば、同じ文化を共有していることが多いから、同じような性質を持っていることが多くて、その部分については、確かに、国民性、って言葉で表わされるのだと思う。

    ただ、一概に、トルコ人全員がいい人というわけではないけれど、一部の人は犯罪者もいる。それはトルコだけではなくて、日本だって、人間であれば、皆共通のことだと思う。
    わたしも、国籍によって判断するのではなくて、その人に接して、自分の目で判断することが大切だと思ってる。

    ただ、英語は、その手段であって。
    実際に色んな世界や、人に触れて、自分の目で見て。様々な人とのコミュニケーションによって、何を見いだすか。その先に何をするか。が、とても大切なことだと思う。

    ゆかちんが、そこで得られるもの、すっごくおっきなものだと、確信しています。

    これからも、色んな世界のこと、みんなに発信していってください。

    わたしも、海外いったとき、まったく違う母国語を話す人同士でも、英語を使えばすんごく楽しく話せることにめちゃくちゃ感動した。

    やっぱり、英語話せると、広がる世界てのも多いよね(*´д`*)

    日本から、応援しています!


    みきたそ

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